浴槽

2002年9月8日
寄せては返す波の音
喜び溢れても
冷たい下水道が待っている
二度と還らぬ日が押し寄せる
小さな浴槽の中で私は
ひとり 悲しみに暮れる

カーボン

2002年9月6日
僕の言うことや
僕の態度や表情は
どうにも うそいつわりばかり
つくられたものばかり
この紙の上に刻まれたものだけが
真実だというのに

どうか
ペンを捨てないでくれ

森の中

2002年9月4日
汚れた木がくねる
私を呼ぶように
私を吸い上げるように
汚れた木がうねる
幹はぎゅるぎゅるとのびて
早く ここまでたどりつけと

壊れていても
あなたは素敵よ

「お待ちしておりました」
通りすがりの家の前で、女が頭をさげた。
この家に立ち寄るおぼえのない僕は、人違いだろうと通り過ぎた。
けれどどうしたことか、歩む先にはまた、
その女と家が待ちかまえていた。
「お待ちしておりました。中へどうぞ」
僕はしかたなく中へ入った。
そこは、古びた家に似合わない、きらびやかな部屋だった。
テーブルの上にはたくさんのごちそう、
夜の闇を映し出す窓には、
きらきらと光るカーテンがかけられている。
豪奢なシャンデリアが頭上にあり、
部屋のかたすみで、女性がピアノをひいている。
優しいメロディだ。

僕は椅子にすわり、ごちそうを食べた。
とてもなつかしい味がして、なぜか涙が出た。
すべてのごちそうをたいらげて、
僕はピアノの音に身をまかせた。
とても懐かしい音色がして、また僕は涙が出た。
窓の外では月が輝いている。
その月にも懐かしさをおぼえて、涙を流す。
どうしてこんなにも、僕は泣いてばかりいるのだろう。
どうしてこんなになつかしいのだろう。
そして僕はふと思った。
そういえば、僕はどこから来たのだろう。
もしかすると、ここが僕の家だったのではないだろうか。

僕は、入り口で僕に声をかけた女にたずねた。
「もしや、ここは僕の家ではないだろうか」
すると女は答えた。
「いいえ、ここはあなたの家ではありません。
 ここは、あなたがたまたま立ち寄った、どこでもない家です」
「けれど」
「さあ、おやすみください」
女は二階へと僕を導いた。
二階は小さな部屋で、小さなベッドがポツンとあった。
ふとんのやわらかさに、僕はまた泣きたくなったが、
疲れ果てていたのであっというまに眠ってしまった。

翌朝、僕は目覚めて下におりた。
けれどごちそうも、シャンデリアも、ピアノもなかった。
簡素な部屋だった。
朝日がさしたからだと僕はわかった。
夜は終わったのだ。

家を出るとき、女が見送ってくれた。
「さようなら」
僕は女の顔に、はじめて気がついた。
「きみは、僕が愛していた女だ」
「いいえ、ちがいます」
女は顔をあげた。
けれどまちがいない。僕がかつて愛した女だった。
「私は、あなたには愛されませんでした」
女は静かに涙を流した。
「あなたが愛したのはあの部屋、あの音楽、あの料理、
 そしてあの眠り」
女は涙を流しながらほほえんだ。
「あなたが愛したのは、あの時間」
懐かしい家がうすれてゆく。ゆっくりと消えてゆく。
「さよなら。私はあなたを愛していた」
やがて女の姿も消え、僕は街の中、一人立っていた。
僕の頬を本当の涙がつたい、消え去った家にひとこと告げた。
「いいや、僕はきみを愛していたんだ」
そして僕はふたたび歩きはじめた。

::::::::::::::::::::

アンダーロココ唄語「真昼の章」、終了です。
またいつか、
気が向いたときに「夕暮れの章」をやろうと思います。

さびれた街のかたすみにその店はあった。
くねくねと曲がる、蛇のような小道をぬけて、
僕はその扉を見つけた。
ただ通り過ぎればわからない。
重い扉がとざされているだけで、
屋根の下にはあかりさえもない。
僕は扉をあけて階段をのぼる。
さらなる扉を静かにあけた。

男は時を止めていた。
真っ黒なシルクハット、タキシード。
その姿も、いつの時代のものなのか。
古い木の机に木の椅子に。
右手に持ったグラスの中には、鼻をつんざくアルコール。
左手にはステッキを。

長く黒い棒をかかげた男を、僕はあわててくいとめた。
「だめだよ、そんなことをしたら、
 誰もあなたをおぼえていられなくなる」
男は横に首をふる。
それでいいのだと首をふる。
すべての人の記憶から、自分の姿を消すように、
彼は黒いステッキをふる。

僕はそれを片手で受けとめた。
彼の手にしたグラスの中に、鋭い刃がきらりと光った。
「そのおさけを飲んではいけない。
 そのなかには、小さな闇が隠れている」
僕はグラスを奪い取り、指をつっこんでそれを取り出した。
果たして指につままれたのは、甘い香りのする赤い花。
魅惑の世界にひきずりこむ、
喜びよりも悲しみにひたされる恍惚。

男は静かに泣いていた。
泣いていたその顔が、僕と同じ顔だったので、
僕はびっくりして口をあけた。
そのひょうしに、赤い花が口の中にすべりこむ。
ごくりと飲み込んだ僕は、あわててせきこんだけど、
ただ、苦い花が喉を通っていった。

男は言った。
「その味を忘れてはいけない。
 その花はただ、ひどく苦いだけのつまらない花であることを。
 どうか君が、私にたどりつく日まで」
男は泣いて礼を言うと、ステッキを置いて立ち去った。

長い髪を売るために、少女は髪を切りました。
みな、少女の長く美しい髪を、とても愛しておりました。
けれど少女は髪を売るため、
流れるようなその髪を、ばっさりと切り落とすのでした。

少女は髪を売るために、悪魔のもとへと行きました。
悪魔のすみかへたずねてゆき、
悪魔に髪を見せました。
「これはなんと美しい、
 なんと見事な髪だろう」
けれど悪魔は少女を見つめ、
髪をかかげて言いました。
「けれどおまえは悔やむだろう、
 ここにおまえの幸福の、
 すべての記憶がしるしてある」
悪魔が髪をかかげると、あたりを暗い闇がおおいました。
暗い闇の中で少女は、一生懸命目をこらしました。
すると、まばゆい光が見えてきました。

少女は光り輝く世界に立っていました。
光り輝く世界には、
たくさんの愛しいものたちがあふれていました。
実り豊かな大地、緑はざわめき、
いろとりどりの花にあふれ、
人々は幸せそうに笑っています。
少女にとって、
なつかしいもののすべてがそこにありました。
通りすぎてきたもの、大切にしてきたもの、
あたかかく育んできたもの、
その世界は、少女が大事にした人生のすべてでした。

しかし、ぱっと輝きは失せ、
悪魔のすみかにひきもどされました。
気がつくと、少女はさめざめと泣いていました。
悪魔は少女に言いました。
「今おまえが見たものは、
 おまえが得てきた幸福のすべて。
 おまえがこの髪を切って失った、
 幸福のすべてだ」
少女は切り離した髪を見つめて泣きました。
悪魔は続けて言いました。
「この髪を、なにも失うことはない。
 もういちど、おまえにこの髪を返してあげよう。
 もういちど、おまえの幸福を取り戻すとよい。
 この髪を手放したなら、
 おまえはきっと悔やむだろう」
悪魔は微笑み、少女に髪を差し出しました。
けれど少女は、泣きながら言いました。

「この髪を失えば、わたしはきっと悔やむでしょう。
 毎日泣いてすごすでしょう。
 でも、わたしにはわかっているのです。
 この髪を取り戻したなら、
 わたしは大けがをすることでしょう。
 あの幸福にすがって生きたなら、
 わたしは病気になるでしょう。
 あなたにこの髪を売りましょう。
 あなたに売ったそのおかねで、
 わたしは明日を買うのです」

::::::::::::::::

「アンダーロココ唄語り」シリーズ、
「夜明けの章」終了です。
またいつか、「真昼の章」が書けたらいいな、
と思います。
とりあえずはまた、普通の詩のスタイルに戻ります。
男の行く先には、なにもありませんでした。
ただまっくらな闇が広がっているだけでした。
地面がどこまで続いているのかもわからずに、
ただ歩いてゆきました。
目の前になにもないので、
男はたくさんのことを考えました。
昔、食べた砂糖菓子の味、
昔、見た永遠の空の色、
昔、あびた雨の温度、
昔、愛した女の涙、
昔のことを、男はたくさん考えました。
男は、闇のさきにそれらをさがそうとしましたが、
あいかわらず、何も見えないのでした。
思えばいつから、自分は歩いていたのだろう。
思えばいつから、ひとりだったのだろう。
男は、闇のさきに答えをさがそうとしましたが、
あいかわらず、何も判らないのでした。
闇の中を歩いていると、だんだん自分の姿がわからなくなってきます。
自分の姿を確かめようと、男は自分の胸をつかみました。
するとどうでしょう、ぬるりとしたものが手に触れました。
奇妙な液体をなめると、なまぐさい血の味がします。
男は、自分の腕をつかみました。
やはり、ぬるりとした感触が伝わります。
男は腹を、足を、背中をさぐりましたが、
やはり同じ手触りをおぼえるのでした。
男はようやく思い出しました。
「おれは血など流していない。
 おれには何も見えない」
そうつぶやいた日から、男の世界は暗闇になったのです。
暗闇を歩いていると、自分の姿がわからなくなります。
けれど自分の姿を確かめるために、
男は自分の血にふれなければならないのでした。
それは、まぎれもない、男の今の姿なのでした。
男は涙を流しました。
それは、昔見た女の涙に似ていました。
「これは、おれだ」
そう言って男が、自分の身体を抱きしめた時、
太陽の光があたりを照らしました。

その街には、恋人が仲良く暮らしておりました。
少年の名前をキュロ、少女の名前をリマといい、
おたがいのことを、とてもとても愛しておりました。
キュロの愛は甘いお砂糖、
ときにヒトデのようにぴったりとして、
よりかかってもこわれない愛です。
けれど、リマの愛は鋭利なナイフ、
愛する人を傷つけ、その傷が愛されている証なのでした。
キュロはたくさんの数え切れない傷をかかえ、
したたる血をなめながら、幸せそうに微笑むのです。
するどいナイフは、キュロの身体を刻んで、
たくさん刻んで愛を伝えました。
キュロの赤い血が、だんだん失われてゆくのを見て、
リマは悲しくなってくるのでした。
ふたりの恋人は、とても愛し合っています。
けれどリマがそばにいることで、
キュロの命は短くなってゆくのです。
ついにキュロが真っ青になって倒れ、
意識を失ってしまった日に、
リマはその手を握り、涙を流しました。
光る涙がこぼれても、ナイフはキュロを狙っています。
リマは、ナイフに魔法をかけました。
ナイフを三日月にかざし、ちいさく呪文を唱えます。
三日月の光をきらきらとあびて、
愛するものを切り裂くナイフから、
憎むものを切り裂くナイフになりました。
憎むものを切り裂くナイフはまっさきに、
リマの胸を突き刺しました。
リマのあふれる赤い血は、
キュロの身体にしみこんでゆきます。
リマは氷の棺にかくれ、静かに息をひきとりました。
ようやく目覚めたキュロの目に、氷の棺は見えません。
キュロはリマを探します。
どこにも見つかるはずもなく、
けれどリマは死んでしまったのだと、
伝える人々の言葉も、信じることはできませんでした。
「だって今でもこの身体いっぱいに、
 君のいのちを感じるのに!」
キュロはリマをさがすため、遠く、遠く旅に出ました。
それきり帰ってはきませんでした。

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